某ダムにて

回顧録〜永遠の初心者ライダーのエッセイ

 小さな頃から体育が何より苦手で、趣味は読書と映画鑑賞
 そんな超インドア派OLが、何を思ったか23歳でバイク免許を取得しました
 こちらでは、幾多の立ちゴケを経験しながらも 50ccスクーター、CB125T、
CBR250RR、ディグリー(250ccオフロード)、そしてスズキ・SV1000Sへとステップアップした管理人の、苦労と栄光の軌跡をご紹介しています

幻のロマンスグレー

 独身時代、私は湖と温泉で有名な長野県S市に住んでいた。
 そこは、一年の半分は冬で、5月のゴールデンウィークが始まる頃に梅と桜が同時咲き、連休が終わる頃には散っていくという、九州娘には信じられないような土地だった。
 そんな土地柄だから、当然一年のうち3〜4ヶ月くらいは雪に閉ざされることとなり、ただでさえ事故率が高くて運転技術に不安のあった私は、父の懇願の下、車を買うことを諦めた。
 従って、主要な交通機関は己が脚、またはケッタ(自転車)。
 非常にお財布に優しいエコロジー生活であった。
 夜、雑誌を買いに行って片道40分かかることとか、坂道を登りきるたびに化粧が落ちてドロドロになることとか、そういうのはあまり苦にならなかったが、唯一苦労したのが”買い物”である。
 5kgのお米を積んで自転車で走ると、ハンドルが切れなくて田んぼにドボン!
 そんなことも日常茶飯事になってしまう…そういう生活だった。

 で、当時片道一時間かけて徒歩で5kgのお米を買いに行っていたのだが、途中疲労のため行き倒れそうになり、哀れに道端に座り込むことも多かった。
 その哀れな模様が風のウワサに乗って、上司の耳に入ったらしい。
 ある日、飲み会で”ボロのスクーター、いる?”と上司から声をかけられた。
 私は”はい!ボロは大好きです!!”と即答し、譲り受けることになった。

 数々の手続を終え、私の元にやってきたHONDAのTACTは、渋い灰色のボディを持つロマンスグレーだった。
 さっそく雨の中乗車練習してみるものの、怖くてアクセルがほとんど開けられない。
 時速20kmでも泣きそうになった。

 なんだこのスピードは!!
 速い!速すぎるっ!!!

 怖くなって練習を止め、部屋で悔し涙を流した。
 私には、スクーターなんて無理だったのかしら…

 でも、しばらくすると段々と腹が立ってきた。
 せっかくお金を払ったのに!
 シートの修繕費や自賠責代として、新品の自転車3台分は優に支払ったのだ。
 これじゃだめだ!がんばれ九州娘!がんばれ私!!

 そこで、気持ちを入れ替えるべく、あくる日洗車をすることにした。
 気持ち的に仲良くなって、もう一度練習に取り組もう!という計画である。

 仲良くなるためには、まず名前を決めてあげなきゃな〜…などと考えつつ、洗車道具を買い、ホースで水をかけ始める。
 ジェームス…
 ランディ…
 エドワード…
 ロマンスグレーな名前を挙げながら、水をかけていると、

 灰色に見えたボディは、実は驚くほど真っ白であったことが判明した。
 あの灰色の渋いボディは、たんにくまなく汚れているだけだったのかッ

 ロマンスグレーではなく色白美人であることが判明したため、名前は”くりすちーぬ”とした。

 彼女とはその後、雨の日も雪の日も苦楽を共にした。
 膝すりハングオン、ミニスカートでS市を檄走した。
 ガス欠でエンストこいて、数キロ押して歩いたこともしばしばだった。
 毎朝アクセル全開ノンブレーキで毎朝会社に突っ込んだ。
 寝ぼけてウィリーで国道に飛び出し、死にそうになったこともあった。

 その後結婚してS市を離れるとき、200km先の新居まで運ぶ手段がなく、引き取り手もなかったためなくなく廃車にした。
 本当に楽しい乗り物だった。
 スクーターに乗れるんだったら、バイクもいけるんじゃない?と安易に勘違いしたことが、その後の免許取得へと繋がった。
 その勘違いにより苦労はしたけれど、でも、その勘違いが今日の楽しさにつながっているので、とても感謝している。

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